千葉の佐倉市は東京から50㎞の中距離にあり、通勤圏にある地方都市である。そこの新興住宅地に30数年ほど住んでいた。しかし、そこには地元の集落があり、神社もあるようであったが、宅地開発と同時に移り住んだ新参者である私達住人はそこには参加せずに新たな自治会をつくった。当然、歴史が浅く、神社や鎮守の森はない。夏祭りは我々の自治会より、古い先行して開発された住宅地が隣にあり、その自治会は神輿を持っており、子供を中心に神輿を引いて練り歩いたり、わが自治会の集会所のある公園で盆踊り会場を設営して、夜店を開いて買い食いや金魚すくいなど楽しんだものである。だから、隣の自治会と共同で夏祭りを開催した。しかし、両自治会ともそれぞれ世代の近い同年代の子育て世代で移り住んできて、子供たちが巣立っていくとともに夏祭りなどの行事は閑散として今度は高齢化とともに内容も変わっていった。もちろん、近くのもっと古くからある地元の自治会の神社の行事には参加したくとも、いつどのように行われているのか情報も入ってこないし、交流がない。よそものには全く縁がないのである。
今は故郷の地元に戻り、生まれ育った自治会(集落)の会員となり、自治会に属する神社や鎮守の森に参拝したり、清掃や祭礼の準備など交代で行事を支える活動を分担している。そして、秋祭りには自治会の所有する鐘太鼓の演奏と共に獅子舞を行い、地域の大きな神社で神輿を担いで神様を迎えるだけでなく、獅子舞も奉納する。これは地元に育ったものにとって娯楽の少ない昔にはとても楽しい行事であったが、都会に映画やゲームセンター、モールなどのショッピングセンターができ、娯楽をひきつけるようになると昔ながらの神社での行事は影が薄くなってきて、存続が難しくなっている。それでも、地域の貴重な文化として盛り上げようと一部の若者が担い手となり、推進する機運もある。
鎮守の森や神社の維持に我が集落もその意義を見出すのに苦労している。春と秋に五穀豊穣を祈願する祭祀を行うがその費用や準備を巡り、議論となる。若い人の興味をひかないのである。我々の世代は子供時代に神社で遊んだり、夜店や獅子舞の演武の楽しさの経験があるので、無くしたくない。何とか次世代につないでいってほしいのである。生まれた土地に鎮守の森があり、神社があることのありがたさは最近の子供には理解できないかもしれない。大人にしても、負担に思うことはあっても、無くてもよいと考える人はいる。必須ではない。しかし、千葉に住んだ経験を考えるとこのような鎮守の森や神社を持つことのありがたさは新興住人で持ちたくても持てない人にとっては望むべくもない価値である。年取って、鎮守の森を清掃したり、参拝することは精神の安らぎそのものであり、ある意味で貴重な宝物である。日本人にとってはここにこそ、精神のよりどころがあるのであろう。これを次世代の子どもたちに経験させることが我々の務めではないだろうかと考える。(サイト補助者MM)