家系図がしめすもの

 退職して時間ができるとこれまでおざなりにしていた墓参りや親戚付き合いも丁寧になる。両親が亡くなり、墓参りもほぼ毎月するようになった。お経は読めないが、毎日仏壇に手を合わせるようになっている。親世代が少なくなり、子供たちに我々の親類がどうなっているかを伝えようとして家系図を作ることにした。しかし、昔を知る人が居なくなっているし、私自身の記憶も薄らいでいる。
 一番頼りになったのが戸籍の写しである。土地の相続の時に集めた血縁関係を示す戸籍である。私の親が相続したときの戸籍から母方、父方の兄弟やその親が記載されている。3世代遡ると江戸時代の生まれとなる。私の母や父の叔父や叔母にあたる人は私の子どもの時に会った記憶があるが正確な名前や関係はあやふやであったが、はっきりした。しかし、三世代前になると親子血縁は判るが、兄弟の血縁はすべて記載されていない。私の祖祖父は江戸時代の生まれになるがそれから以前はどうやって調査するかは知らない。機会があれば調べてみたいと思うが、それ以前の情報は実用的ではないだろう。
 墓碑にも名前が書いてあり、いくつか複数あったお墓を一つにまとめた時にそれぞれの墓碑を写真に撮って記録していたが、戸籍の情報と結びつけるとさらにいろいろ思い出されて実感をもって姻戚関係が明確化した。その他、仏壇にある位牌を調べたこともあり、没年が判る。まだ、残っている写真の人物の血縁関係が不明のものがあり、これからの課題である。
 私の住む地域の氏神である鰹宇神社はもともと摂津にあったものを650年頃に森口帯刀という人がお告げにより、この地に移したという歴史のある神社であるが、今でも宮司は森口さんである。もし、その頃から代々宮司を務めていたとすると1370年間続く家系ということである。1世代30年とするとざっと45代ということになる。3世代前で江戸時代に、45代くらい前だと律令時代にたどり着く。人類も遺伝子調査の結果、アフリカの非常に狭い地域の1種族から増えていったらしいから、もし、人類のすべての家系図が判ると人類のほとんどは皆親戚ということになるであろう。
 一方、45代もつづく神社ということはこの地域にすむ人たちの氏神様として連綿と祀ってきたということである。この神社を経済的に支えているのは地元に代々住む氏子であり、そのほとんどが農家であった。農家の減少とともに都市化、給与生活となり、神社の存在意義や祭祀の娯楽性が希薄化し、神社が絶滅危惧種になりつつある。しかし、1300年以上続いているということ自体が価値であろう。なんとかして、続けたいものである。(サイト補助者MM)
 

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