誰にも少年時代はあると思うが私の場合にはどうだっただろうか。私はいわゆる団塊の世代の終わり頃で私の数年上の世代の後を追いかけて育った。私は柑橘類が好きで良く食べるが、食べるのも早く、苦労も感じない。私の孫は小学校2年生で柑橘類の生食は得意でない。自分で皮をとって、袋の中身を取り出すことが苦手である。私の小さい頃は庭などに植えてある橙や八朔などの果実はご馳走であり、季節になると遊びの合間に樹木から捥いで寒い中を風を除けながら食べるのが楽しみであった。だから、柑橘の皮や袋から取り出すことは日々の訓練となっていたので上達し、いつの間にか手際よくできるようになった。柑橘類に限らず、木になる果実類は何でもご馳走である。香川県はため池の多いことで有名であるが近隣にいくつも灌漑用ため池があり、小学校に水泳プールができるまではため池が水遊び場であった。私は泳ぎは苦手で池ではほとんど泳いだことはない。しかし、ため池は灌漑用水の水源として貯水され、普段は水門を閉じられていて、ほんの少しだけ、こぼれて水路に流れ出ている。そして水路のところどころに溜りがあり、そこには、小魚が住んでいる。そして、「さんがえ」と呼ぶ遊びを数人といっしょにやっていた。ダムを作り、川を堰き止め、その部分の水をバケツなどで汲んで空にする。そして、そこに住む小魚を一網打尽につかむという遊びである。ため池は何年かに一度、池の底が見えるまで池の水を空にする。こうなるといつもの灌漑用水路にため池に住んでいたたくさんの魚、カニやエビなどが放出され、いつもの浅い水路に大きな水生生物が群れをなして流れてくる。ある時はアメリがザリガニの大群が取れ、早速湯がいて、真っ赤になったザリガニを皆で食べていた記憶がある。大きな鯉が流れてくるのもこんな時である。今では誰も採ることに興味を持たないが当時はご馳走であった。米国のニューオリンズはミシシッピ川のほとりにあるが、後年、ここを二度ほど訪問したが川で採れる魚やザリガニを使ったケイジャン料理が有名である。野趣のあるこの料理を食べた時、子供の頃の赤い茹で上がったザリガニを思い出した。ついでにボストンではアメリカンロブスターが有名であるが、これはイセエビではなく、ハサミのある大きなエビ、オマールエビである。茹でただけの大きなエビであるが、人気がある。ボストンは仕事の関係で頻繁に訪問したのでいろいろレストランを探索することができた。真冬に屋外にでると寒さで耐えられなくなる。だから、ビルからビルに移動するための歩道が屋内に居るように外気にさらされないでつながっている。話を子供の頃に戻すと、どの家にも牛か馬がいて農作業の耕作などに使われていた。牛に丈夫で大きな座布団のような藁でできた敷物を引かせて、その座布団に人間が乗り、その下の土を細かく砕くという作業があったが牛を制御する大人に加えて子供も載せてくれる。ゴロゴロと引っ張り、土が砕かれる振動を感じながら、進むのは楽しいひと時である。田植えは隣の家と共同で行っていた。田植えは短期間で終える必要があり、大人数の方が都合がよい。そして、両家の田植えが終わるとちょっとした食事会を行った。風呂や夕食も隣と区別なく、利用していた。そして、隣のおじさんは川魚の料理が得意で、近所で採れたフナも小骨をうまく処理して、酢でしめた酢の物が美味しかった。しかし、やがてすぐ機械化が始まり、個人で農作業ができるようになり、昔ながらの共同作業もなくなってしまった。そして交流も段々今のように普通になっている。子どもの頃は夏はどんなに暑くても、屋外に出てセミや蝶を取りに駆け回っていた。毎日、何も考えずに遊ぶことに夢中になった時期である。後年、米国に単身で駐在した時は夕方5時には会社を終えて、ゴルフ練習場に直行し、7時過ぎまで毎日練習し、週末はゴルフするという時期があり、この時は子供の頃の遊びのような感覚を取り戻していた。子どもの頃は短いが何故か、自分の原点のような気がする。今、退職し、毎日が日曜日の状態であるが、子供の頃の夢中になって遊ぶという生活に戻っている。人間は死ぬまで働くという人がいるが、ストレスのない自由な時間を持つということも贅沢だと思うこの頃である。