たった二年間であったが、研究開発拠点としてシンガポールにつくった10数人ばかりの研究所に53歳の時に赴任した。国内で研究者の新規雇用が難しくなり、アジアで優秀なエンジニアを雇用するという目的で開設した研究所であるが私が赴任したころはさらにアジアが市場として拡大しそうであり、現地の顧客に合った製品開発を行うという方向に転換しつつあった。仕事は刺激的で面白いが、一方で範囲も広く慣れないことばかりでアドレナリン全開の日々であった。
シンガポールは常夏の国というだけのことはあって、最低気温が25度Cを下回ることはほとんどない。12月頃の数日だけ24度くらいに下がるだけのように思う。だから、季節感がない。いつの間にか、1年が過ぎていく。クリスマスも正月も店の飾りつけがないと気が付かない。四季がないのでいろいろの出来事がいつ頃だったかを思い出すことが難しい。日本では秋や冬になると樹々が紅葉したり、落葉し、春には花が咲き、やがて新緑の季節となるという一年のリズムがあるがシンガポールではいつも花が咲き、濃い緑の暑い日々がえんえんとつづく。かすかに雨季と乾季の違いがわずかにあるが、ほとんど私にはわからなかった。一体、いつ樹々の葉は落葉するのだろうか。実はいつもすこしづつ新陳代謝しているのである。だから、公園ではガーデナーが地面に落ちた葉を年中、ブロアで吹き集めている。天候も毎日、同じ予報が出る。すなわち、晴れ/雨/曇りなのである。晴れていても、突然、雨雲が近づいてきて土砂降りになり、そしてまた晴れる。だから、天気予報は意味がなく、空を見て雲の動きを見ることが役に立つ。それでも時々大雨で道路や街が冠水することが報じられるので低地など水の集まるところは局所豪雨の情報に敏感である。
いつも真夏の気候なので、服装が軽装になる。仕事柄、顧客との打ち合わせにネクタイをしていくこともあるが、政府の役人や固い職種であってもワイシャツにノーネクタイであることに気がつき、その内、ほとんどノーネクタイで失礼にあたらないことを認識し、それで済ませた。展示会や公式のプレゼンなどではスーツにネクタイであったが。デパートではそれでも冬物のコートや防寒具も売っており、不思議に思ったが海外に出かけるための服装として必要であり、納得した。
車で通勤していたのであるが、実は二度ほど、運転中にオーバーヒートしてボンネットから湯気が上がり、ガソリンスタンドに助けを求める事態となった。そして、冷却水がなくなっていることを指摘された。日本に居て、冷却水がこの速さで減ることはないが、常夏の国では年中冷却水を消費するのでこのチェックが欠かせない。三度目はさすがに回避できた。会社のエアコンも年中稼働している。帰宅するときもオフィスは冷房したままである。なので、エアコンの故障は珍しくない。高負荷連続運転なのでかなり過酷な使用条件である。住んでいた住宅は高級アパートであったが、エアコンはいわゆるインバータエアコンではなかった。一定温度に設定するが、寝ると寒く感じて、エアコンをオフにするがしばらくすると暑くなるのでまたオンにする。これを夜間、何回も繰り返すことになるがその内、無意識でできるようになる。しかし、寝苦しいことは日本の真夏なみである。シンガポールにはホームレスはいないと言われるが、屋外にいても夜は寒くないので時々、夜更かししている人を見かける。衣食住の必要性は緯度の高い地域の人に比べて低いので、低所得でも生きていけるのではないか。シンガポールで生まれ育った人が日本に来て、真夏を除いてその寒さに慣れないという。私も日本の寒さは我慢するもの、耐えるものと思っていたが、シンガポールに来て、毎日、うだるような日がつづくと、逆に身体が縮むような寒さを恋しいとさえ思うようになり、特に秋のすがすがしい空気の中で生活することのありがたさをしみじみと感じた次第である。これは生まれ育った風土が人間の快適環境を規定しているからだろうか。それとも、単に同じ環境がつづくことが我慢できないだけだろうか。(サイト補助者MM)