最近、立花隆氏が亡くなった。昭和21年の新制小学校に初めて入学した世代で価値観が大きく変化した教育を受けた一期生だそうだ。戦後も76年となり、戦争を知らない世代がほとんどになりつつある。どうして負けると判っている戦争を始めたのか、戦争を体験していない人ばかりになったとき、戦争の経験が日本民族として学習され、繰り返さないという民族全体の深い理解に達しているだろうかと思い、立花氏の世代の役割として、それを民族の遺産として伝えておきたいと考えていたそうだ。
私は戦後の生まれであるが、団塊の世代のすぐあとの世代で団塊の世代ほど数が多くなく、競争もエネルギーも少ない弟分で兄貴世代の影になった世代である。戦後10年もせずに生まれており、社会はまだまだ生々しい戦争の傷跡が残っていた。しかし戦争を実感できる世代ではなく、戦争は過去のものという認識であった。では、私の世代の果たすべき役割は何だろうかと思うと、ひとつは子供の頃の豊かな自然を残すことではないかと思う。多様な動植物が生息する里山の中で伸び伸びと育った最後の世代かもしれないと思う。機械化が進む前、農作業は牛馬を使ったり、共同で力を合わせて行う近隣の団結が重要な社会であり、春や秋の祭りは豊作の祈願や収穫のお祝いであり、獅子舞など近隣の人達が神社に集う交流の場があった。こうした子供時代を過ごした最後の世代かもしれないと思う。かつての農業は経済価値という尺度で割に合わないものとなり、人々は職を求めて都市に移動し、商工業化が進み、消費生活をエンジョイするようになった。私自身も時代の流れに乗って製造業のサラリーマンとなって都市の近郊に住み、メディアやショッピング、めずらしい海外由来の飲食メニュを楽しんだ。しかし、退職して田舎に戻り、自由な時間を過ごすようになると子供のころの生活が懐かしくなる。折しも、地球規模で化石エネルギーに頼った生産・消費活動が地球温暖化をもたらし、これまでの生活が地球を毀損し、このままでは維持不可能となってきている。脱炭素に向け、生活を大きく変える必要に迫られている。脱炭素のために昔の生活に戻ることが解答であるとは思わないが、当時を知るものとして少なくとも蛍の飛ぶ小川の近くに住みたいと思う。毎日、田の世話のために泥にまみれて草取りや畦の修復などをやっていると都市に住んでコンビニで簡単に食べ物が手に入る生活は便利だけれどリアルの生活感がないと思う。その食物ができるまでの長い道のりを知らずに生活できる。その過程でどれだけ、地球が棄損されているかを意識することなく、生活できる。皆が都市に住むようになっている今、どうするかを考えてみたいと思う。(サイト補助者MM)