私の出発点

  幼い頃の記憶で今だに強く残っているのは私が祖父の寝ている周りで祖父の頭に乗ったり、抱き着いたりしていたが祖父がそれをされるままに遊ばせてくれていたことや祖父からだっこされ、懐から出した氷砂糖をもらい、口いっぱいにほおばっていたことを覚えている。祖父がなくなったのは私が2歳の時である。物心ついた時には祖父はもういなかった。(祖父)
  隣の家のおばさんは母のおさな友達で小学校もいっしょで互いに婿養子をもらい、結婚してからもずっと隣同士で、田植えなどの農作業もいっしょに助け合いながら行うという間柄であったが、このおばさんは私を幼児から小学校、中学校、高校と成長するさまを家族のように見ていつも将来が楽しみだといって褒めてくれた。おばさんは身長が高く、スポーツが得意で社交好きな明るい性格で母とは対照的であった。私は意識していなかったが、いつもおばさんの期待通りの人生を歩むように暗示をかけられていたのではないかと思う。少なくとも、道を外れないように注視されているような感覚があった。おばさんには3人の息子がいて、三男のお兄さんには小学校に上がったときに自転車に乗せて学校まで連れていってくれた。お兄さんはそのころ中学生で6歳くらい上で、優しい人で高校を卒業すると東京で修行し、戻って寿司屋になっている。おばさんの主人である叔父さんは婿養子に来ていたが、私の母の結婚相手に同郷の父を紹介し、その縁で婿養子になり、私が生まれている。だから父と叔父さんもおさな友達で、夫婦ともに子供の頃から親しいという間柄であり、互いの家を自宅のように自由に行き来していた。叔父さんにも子供の頃から遊びや生活の知恵などいろいろ教わった。(隣人)
  私の親類に霊感の強いお婆さんがいて、祖父の妹であり、母にとっては叔母にあたる人だが、母はいつもこの叔母を頼りにしていたように思う。そのお婆さんは我が家で法事があると来て、文房具などをお土産に持ってきて私たち甥や姪にプレゼントしてくれた。このお婆さんが修行して霊感を得て、口コミで困りごとの相談にたくさんの訪問者があるという人だということを知ったのは私がある程度、成長してからのことである。母は私の進路について、この叔母さんに相談していたようで、私はお婆さんの見立てによると私は「水」の性質を持っており、一か所に留まることはなく、高いところから低いところに常に流れていくという。母は婿を取り、農家を相続して土地を守ってきたが私が高校や大学に進学にするときに唯一の男子である私を跡取りとして、郷里に住み、農家をすることを期待していた。しかし、お婆さんの見立てで、私を自由にさせるのがよいという回答であり、母はやがてそれを受け入れたように思う。母は長男(私の兄)を6歳のときに失っており、次男である私に跡継ぎを期待していたが長男が生きていれば、私はむしろ外に出る運命にあったこともあり、諦めがついたのではないかと想像する。(霊感の強い親類のお婆さん)
  稲刈りをしていたとき、米国の大統領ケネディが暗殺された。東京オリンピックで強烈な印象を受けたのは西洋人の容姿である。体操のチャフラフスカ選手の運動能力の高さとその均整の取れた美しさに子供ながらにファンになってしまった。テレビが家で見られるようになったのは私が小学校5年の時で、初めての番組はチャックコナーズの「ザ・ライフルマン」である。テレビを通して、欧米の生活を見てその豊かさにあこがれをいだいた。ディズニーの番組はどれも魅力いっぱいで自然や動物、学校生活などアメリカが好きになる。映画「風と共に去りぬ」では見栄っ張りで気が強くて誰もが振り向く美人のスカーレットと対照的なしとやかで優しいメラニーではどうしてもビビアン・リーのスカーレットに惹かれてしまう。小中学校の頃は西洋人にあこがれがあり、いつか海外に行きたいと思っていた。
  小学校の運動会に鼓笛隊の行進がある。最終学年の時、どういう訳か私が鼓笛隊の指揮者に選ばれた。おそらく学業の成績で選出されたのだろうが、私は教えられたとおりに行進曲の指揮棒を振り、皆がそれに合わせて演奏する。ところが、屋外で実際に行進を行うと私の指揮の動きと演奏がずれているように聞こえてきた。指揮者はこのようなときには絶対に調子を変えないで、皆が私に合わせるべきであるが当時の私には、私の指揮と演奏のずれは私のせいだと思い、ずれを補正するように指揮棒の振り速度を変えてしまった。そうすると、皆は私に合わせようとするのでずれが補正されるどころか、ますますずれてしまう。鼓笛隊は演奏しながら、運動場を一周するのであるが、最後はさすがに誰が見てもおかしいと思う程度に調子が変動していたと思うが、最後まで修正することなく、終わってしまう。私は音楽が苦手でどこかで脱落していたと思うが、鼓笛隊の指揮者をやって、ますます自信がなくなった。行進すると長い列ができ、当然、後ろの方から聞こえてくる音は指揮棒のタイミングよりもずれて遅れて聞こえる。だから、このずれは自分の速度が変わったからではなく、音の性質なので気にしないで指揮のテンポを変えてはいけないということを誰も教えてくれなかった。今では、これを知っているので、指揮者はテンポを変えないで指揮をとれるがその頃は自分のせいだと思い、テンポを変えてずれを調整しようとした。音楽は向いていないということを認識した。
  三つ子の魂百までというように子供の頃の体験がその後の生き方に大きく影響していると言われる。自分のこれまでの人生を振り返ったときに自分の出発点はどこにあるのだろうかと問いかけると度々思い出すのはいつも同じ体験である。私の原点であり、出発点であるように思う。  
 
  

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