毎年、年末年始の特集番組を楽しみにしている。特に、新しい哲学であったり、世界の経済や自然など大きな動きについて世界の賢人たちの意見や考えが紹介され、驚いたり、感心したりしている。昨年(2021年)はイスラエルの哲学者が人類の歴史を俯瞰し、人類が生き残り、発展した理由を集団の力を生み出す人類の妄想力にあるという考えに感心した。
私は長年、会社員生活を送っていて、自分の属する集団である会社の存在がどうしても実感として感じられなかった。つまり、自分は毎日、開発部署で製品開発をしていて、それは長期的なものでそれが実際に製品として売りに出され、利益を生むことにつながることはすぐには実現しない。だから、果たしてこれで会社という集団がうまく回っているのかどうかは不思議であった。ある意味、毎日、働いてはいるがそれがどうしても給料を生むとは実感できないでいた。
これはおそらく、会社のどの部署の人間も同様で、人事の人間は毎日、業務の人事活動を行い、営業はお客さんといろいろ納期や価格や交渉を行っているのであろうが、それがどう給与として会社から得られるのかその連鎖のすべてを知っているわけではない。これは会社という集団の存在を信じているからに違いない。この集団を信じる力、想像力あるいは妄想力が人類に集団としての力を発揮させ、他の生物を差別化し、抜きんでて駆逐するまでに発展してきたというのである。
私は日本人であるが、日本国という集団の存在を信じているが、その集団がどのようなものであるかは実はほとんど知らない。しかし、それでも毎日、疑うこともなく、そのルールに従って生きている。これを信じられるということが人類の強味だという。
年末年始の番組で日本沈没というドラマを見た。小松左京の原作を基にしているのだろうが、現在の技術や知見を取り入れており、現実味を出している。そして日本沈没が実際に起きて、地殻変動で日本の国土がなくなってしまい、日本の国民が世界中の各国に移住して、それぞれの国に技術で貢献するが、 それぞれの国で日本人集団を作り ながら、世界全体に国民が散在するバーチャルの日本国民として生き残るという話であった。これは果たして可能であろうかと考えると、国家とは何かという根幹を考えさせる良い機会となった。
ところで、国とは国民から税金を集め、それを原資にして、インフラや福祉、教育、通貨、法律などを通じて、富を再配分することで国民に寄与するシステムだとすると、外国に住みながら、日本国民として、生きることはむつかしい。外国に住むということはその国に税金を納め、インフラや教育、法律などその国のルールに従うということそのものである。結局、移民としてその国に溶け込むということになるだろう。 もし、バーチャルの日本人という組織があるとしても、そのメリットは宗教的なもので、祖先や文化を伝えるだけの小さな役割しかないものになるだろう。それぞれ国の中に治外法権としての日本国の領土を認めることは許されないと思う。
最近、メタバースという電子空間が開発され、そこで自分のアバターがそこで現実空間のように他の人と出会ったり、買い物をしたり、交流することの可能性が出てきた。国という枠を超えて、交流するようになるとその電子空間での税金や教育や文化などをどう決めていくのか特に民主主義国家と先制国家では大きな違いがあり、その交流空間には新しい問題が出てきそうである。新年にはこうした新しいことの到来を予期させる特別な時期である。(サイト補助者MM)