たった2年間であるが、2006年からシンガポールの研究拠点で働いた。初めての海外駐在であり、貴重な経験であった。しかし、50歳を過ぎての駐在であり、感性も体力も衰える途上ではあったが強烈な刺激であった。シンガポールは国土のほとんどが都市であり、田舎らしい景色は公園を除いて見当たらない。住んだ所はオーチャード通りにほど近いシンガポール川沿いの高層住宅地でその川べりには観光船やレストランが密集する所で日本で言えば、銀座や六本木の高級住宅街に相当する。歩いて現地の伊勢丹や明治屋に行ける距離にあった。千葉の田舎から、いきなり大都会のホテルのような生活の落差だけでなく、常夏気候で南方特有の明るく開放的な色や温度も気分を若くしてくれる。その2か月後には体調を崩して入院してしまうが、緊張と高揚した気分に身体が付いていかなかったのである。
シンガポールの玄関であるチャンギ空港からシティ中心に向かう高速道路はイーストコーストに沿った、巨木の並木道でその樹木の大きさに南国の豊かな自然を印象づける。やがて、その一角にマーライオンのあるマリーナベイを見下ろしながら、湾に沿ってぐるりと回りながら、都市の中心に入っていく。まるで東関東自動車道を東京湾のベイブリッジを渡って、首都高に入っていく景色に似て、とても素晴らしい。住んだ高層住宅は築八年とやや古かったが10階建ての8階で、広さは2LDKで80m2位であったろうか。夫婦二人で住むには十分の広さである。中庭にはプールがあり、大抵は白人が泳いでいた。バーベキュー広場もあり、地下には駐車場、階段やエレベータのある入口はアクセスキーで保護され、セキュリティもしっかりしている。近代的であったが、ガスはプロパンでしかも、無くなると電話で連絡する。すぐ配達されるがめんどうである。
私は出された物は何でも食べる方で味には鈍感で、どちらかというとたくさん食べたいという食いしん坊である。何を食べても美味しく感じる方でいわゆるグルメではなく、繊細な味の違いは判らない。
オフィスで仕事をしているとガス漏れの匂いがするので、これは大変と周囲の現地従業員に言うとその匂いの元は「ドリアン」であった。誰かが持ってきたものであった。ドリアンにもたくさんの種類があり、匂いの違いもある。高島屋の地下の食料品売り場に行くとシーズンになるとかなり遠くに居てもドリアンの匂いがする。その匂いがすると嫌で近づけなかった。電車やバスにはドリアンの持ち込み禁止の表示があり、納得する。しかし、いつの間にか、慣れ、ドリアンをトッピングしたアイスやドリアン・ケーキなどは甘い上に臭みが味を濃厚にしてくれるのか愛好家になってしまう。シュガーケーン・ジュースも青臭いえぐみがあるが、甘いだけでない味わいがある。さとうきびをその場で絞ってくれるので、混じりけなしである。ランチは近くの店で外食するのだが、もっぱら、屋台形式の軒を連ねた食堂があちこちにあり、国際都市だけあって、あらゆるジャンルの食事を楽しめる。麺かライスか、鳥かシーフードか、インド系、インドネシア系、韓国系もあり、基本はその場で作ってくれるホットプレートである。暑い気候なので保存が難しいので、その場で暑いものを1-2分で作る。その頃、バブルティーというタピオカ入のアイスティーが美味しいので食後に注文していたが、作る過程を何気なく見ていると、ものすごい砂糖の量を使っており、健康に悪影響必須である。飲む人の健康までは配慮してくれない。美味しいだけでは済まされない、自分の身体は自分で守らないといけないとそれ以来、止めた。
働いている研究開発拠点が試験機関としての認証を得るため、数日間の監査を受けることになり、監査人のランチを用意することになった。監査人はインド人でビーガンであり、予め、ビーガン対応のインド料理のファミレスのメニューを用意して、朝の挨拶後にはその日のランチとして好きなメニューを選んでもらう。南インド、北インドでは違うらしいが彼の選んだものは興味があり、同じものを頼んだ。食後のスイーツも含めて、どれも美味しいものであった。残念ながら、料理名を忘れたが数日間、カレー以外のたくさんのインド料理を味わったが、どれも美味しい。自分では注文しそうもないものであったが、そのバラエティとおいしさは驚きであった。「何事も先達はあらまほしきことかな」である。
シンガポールは小さいが故の知的戦略国家である。随所に生き残りのための戦略的工夫がみられる。極端な例は教育である。1960年台に独立後、言語を英語教育を中心にして、シングリッシュと呼ばれる英語の社会に変えてしまった。今では中華系の小学校を出てていないと話せても中国語の読み書きは十分できない。そして、若い人は英語が得意で、老人は中国語、親世代は両方という具合でこんなに急速に英語に変えられるものかと驚く。もちろん、一歩家の外に出れば英語が使われている。教育システムも小さい頃から進路を選別するようになっている。だから、2つの国立大学に進む人は全体の2割ほどで小学校から何回もの選別を受けた知的能力の高い人たちである。しかも、卒業証書には学業のランクが示されてあり、トップ5%はSとして政府系に就職することが多い。その次の15%はAクラスとして人気の民間企業などに就き、さらにその次の普通のクラスを採用するのが我々の給与レベルの企業では精いっぱいである。しかし、それでも能力は高く、あまり採用で外れたことはない。
シンガポールの街づくりは英国風を基礎にして、近代アジアというよりも超高層の未来都市構想を実現しようとしている。シンガポールの地盤が地震に強いらしく、日本の建築基準では信じられないほど細い支柱で高層建築が林立している。地階は公共スペースとして、解放されており、多くは支柱のみの構造となっている。帰国間際にフュージョノポリスという新しい研究所の建物を見学する機会があったが、これまでいくつもの研究所がばらばらに建っていたものを一つの高層ビル群として集合させ、互いに高層ビルが高層階で有機的に繋がっていて、人が行き来できるようにしてあるビルであった。昔、若いころ、米国のベル通信研究所を訪問した際、ビルの中庭が吹き抜けになっていて、その中庭で研究所のいろいろな分野の研究者がランチを取りながら交流できるように設計されていたがそれをさらに大規模に高層ビルで実現したような建物である。私は一私企業の研究開発エンジニアであったが、同じ分野の大学研究者や同業のエンジニアが集う研究会や学会での交流がほとんどであったが、シンガポールでは異分野の交流や政治家、経営者層、ジャーナリストなど幅広い交流の場を重要視しており、そのような場が頻繁に開催されていた。皆がより良い機会を求めて人脈を作っているのである。だから、もちろん、転職も多いのであるが。
シンガポールの良い点ばかりが目につくが悩みもある。450万人の人口の国家であり、いつの間にか、一人当たりのGDPは日本を追い越して繁栄しているが,例えば、シンガポールに生まれて、一生をシンガポールで過ごすことは一部のひとだけであろう。アジアや欧米にも拠点を持つ企業がほとんどであり、仕事は国外に繋がっており、むしろ一時的には海外で暮らすことが必須かもしれない。国土が狭いということはのんびりはしていられないのである。翻って日本はどんな国を目指しているのであろうか。(サイト補助者MM)