米国駐在時のことである。製品開発のためにその分野に詳しい現地のエンジニアを雇用することになった。その中で経歴や知識を聞いて大変気に入った人がいたが、一つだけ変わった点がある。イタリア系の白人であったが、敬虔なイスラム教徒であり、1日に2回の祈りの時間と金曜日に1時間ばかり、離席してモスクへ行きたいという。また、奥さん以外の女性と同じ部屋で2人だけになったり、女性に触れることはできないという条件を出された。私に異存はなく、仕事さえしっかりやってくれれば問題なかったが、人事にそのことを話すと営業職であれば、握手ができない、顧客と打ち合わせができないと支障になるという。しかし、研究職なので問題ないだろうとなり、雇用することになった。このエンジニアはとても優秀でしかも誠実であり、新しいことを始めようとしたときの米国の労働市場の柔軟さに助けられた。個人的に話す機会があり、なぜ、イスラム教徒になったのかを聞いた。彼の両親はキリスト教徒であったが、大学生の時、キリスト教は彼に言わせると教義が不完全で矛盾があるがイスラム教はそうではないという。イスラム教の成立は比較的新しいので最も合理的だそうである。彼の奥さんはマレーシア人で大学の時に知り合ったらしいがもちろん、イスラム教徒である。
ペンシルバニア州ランカスターにアーミッシュという科学技術を否定するキリスト教の一派が住んでおり、基本は農業で自分達だけの閉じた社会を作り、いまだに馬車で移動し、学校も別で税金も納めずに自分達だけの生活を送っている。しかし、手作り製品を作り、一部の売店では観光客も受け入れているので、めずらしさもあり、そこに旅行したことがある。彼らのキルト製品や民芸品がいろいろ売られており、彼らのレストランでも食事をしたがそれらの店は電気も電話もあるので、科学技術の何を否定し、何を肯定するかの判断基準が判らなかった。アーミッシュの人たちは独特の髪型や服装をしているが普通に接してくれ、違和感はなかった。彼らはその不便な生活であるにも関わらず、子供が多く、人口を増やしているという。
私は若いときから宗教に興味があり、いろいろ本を読んだが、インドのヨギの自伝や日本のインド宗教者であり、科学者でもあった青山圭秀氏の一連の本などは神の存在を経験する話が書いてあり、嘘を書く必要もないので本当かもしれないと考えている。最近では阿闍梨の千日回峰行や禅宗の寺での修行などのTV番組を見たりして、人間の悩みをどうやって克服するかなど多くの人が取り組んできた歴史もあり、一生を掛けて追及するに値するものであることも理解する。私自身は神というよりも、連綿と生きてそして亡くなっていった先祖や親などを信仰の対象として考えている程度で深い信仰心があるわけでもない。もし神がいるとしても、その存在を誰にでも知らしめるのではなく、選ばれた数少ない人に示しているのではないかと思う。残念ながら、私は選ばれていないが、もし、選ばれて本当に信ずることができれば、それはそれで幸福なことかもしれないと思う。