今だにマクロ経済について良く判らないことが多い。日本政府の借金がGDPの2倍以上の1200兆円あり、それでも政府予算は毎年、100兆円を超えて、史上最高額を更新し、借金がさらに増えつつある。一体、どこまで借金ができるのであろうか。政府が自国通貨で国債を発行して借金をする限り、いくら借金をしても財政破綻しないというMMT(現代貨幣理論)という理論があるらしい。どこか怪しげであるが現実にはこの理論に基づき経済政策が実施されているらしい。1997年頃、熱狂的に需要が伸びていた通信需要がはじけて勤め先の業界は一気に不況に突入した。過熱すると皆が先を見越して実体以上の需要に基づいて過剰生産し、売れない在庫を抱えて倒産してしまう。私は1984年頃に住宅を購入したが日本ではその後10年くらい、不動産が高騰し、不動産バブルが起きた。そして、バブルがはじけて多くの法人、銀行が不良債権を抱えて経済が沈滞した。日本の人口は2008年をピークにその後減少に向かっているが、2000年代は長い経済の停滞期に入っている。地価がもどらないのも人口停滞と関係しているのであろう。2010年から6年間、米国に駐在したが、米国で暮らしてはじめて気づいたことがある。皆がどこか明るく元気がよいのである。日本では長い間、デフレが続き、なんとなく鬱屈した社会の雰囲気で、この状況は先進国共通であり、同じ状況だと思っていた。自由貿易の結果として中国など人件費の安い国で作られた廉価な品物が入り、物価は抑制されると考えていた。しかし、米国では日本の戦後成長期のように物価は上昇するものだと信じられているようだった。だから、家賃にしろ、レストランの値段、散髪代、人件費も住んでいる6年の間にじりじりと上昇していった。米国では人口が増えており、子供の数も多い。人口ピラミッドも若い人が多い構成となっている。だから、物価は上昇するのでどうせ買うなら、早く買う方が良いと考えるので消費も盛んである。勤め先の米国子会社では米国流の経営であったので、どうやって売るかが重要であり、マーケティングが重視され、コスト削減つまり、どうやって作るか、経費の削減とかは優先度が低いように感じた。コンプライアンスという倫理面は徹底的に教育を受けたが仕事を楽しむという姿勢があり、よく顧客といっしょに食事やスポーツなどを楽しんだ。米国の経済は需要が伸び、成長する経済であり、大きなパイからどの美味しい部分をとるかが競争である。日本では国内需要が徐々に縮む経済で、限られたパイの取り合いになる。そこが大きく違うと感じたものである。株式市場も大きく違う。米国では高低の波はあるものの株価は上昇しつづけている。簡単な機械設計のために雇った非正規のシニアはごく普通の年金生活者であったが、アドバイザーを使って資産運用を行っていた。米国は移民によるダイナミックな社会を前提としている。中国は2030年頃、人口のピークを迎えるがこの影響は非常に大きいであろう。今、日本は高齢化先進国であり、移民なしで労働人口減少の中での国家運営を迎えている。海外需要を取り込んでいくか、一人当たりの生産性を大きく上げていくか、新しい需要を創造していくかなどが重要となる。これまでもそうであったが、危機こそチャンスである。日本こそ、さらに地方こそ経済成長の活路を見つけたいものである。